「とおりゃんせ」の謎

この歌は、

  とおりゃんせ とおりゃんせ

  ここはどこのほそみちじゃ
  てんじんさまのほそみちじゃ
  ちととおしてくだしゃんせ
  ごようのないものとおしゃせぬ
  このこのななつのおいわいに
  おふだをおさめにまいります

  いきはよいよい かえりはこわい
  こわいながらも とおりゃんせ とおりゃんせ

というものですが、この詞の中の「ここはどこの ~ まいります」の77文字を抜き出して、7×11文字で蛇行状に表示してみたところ、意味の通りそうな文章を見出しました。

  ここはどこのほ
  んてやじちみそ
  じんさまのほそ
  ととちやじちみ
  おしてくだしや
  なのうよごせん
  いものとおしや
  なのこのこぬせ
  なつのおいわい
  さおをだふおに
  めにまいります

  「とおりゃんせ」の歌詞を蛇行状に表した図

これを左から読んで行きます。

  こんじとおないななさめ
  こてんとしのものつおに
  はやさちてうのこのおま
  としまやくよとのおだい
  こちのしたごおこいふりのみ
  ほちしせしぬわ
  おまほそそみややせいにす

  今時十無い七白眼
  古点賭しのものつ尾に
  早幸兆のこの馬
  年増厄世との穏
  此方の順 濃い振りのみ
  発意し背しぬわ
  馬細其身や野生にす

  今は十にもならない七つの白馬
  古点に身を賭したものの尾に
  早く幸せになる兆しがあるこの馬は
  年増で厄の世というのに穏やかだ
  夫の順が親密な振りをするだけで
  思い立つ夫がしないのは
  馬が細いその身で野に育っているからだ

「古点」とは、平安時代中期の歌人で学者の源順(みなもとのしたごう 西暦911~983年)ら「梨壺の五人」が万葉集につけた訓点のことを言うそうです。それは、源順が、天暦五年十月三十日(西暦951年12月6日)に、撰和歌所寄人となった時の事です。

その源順が、康保三年五月五日(西暦966年6月1日)、下総守の叙任の年に、『源順馬毛名歌合』という、馬の優劣を歌で競う歌合を主催しました。

『馬毛名歌合』には、馬にまつわる十対それぞれ左と右、計二十の歌が記載されています。「とおりゃんせ」の“うら”の文章の冒頭の「十(とお)」とは、この「十対」のことを表わしていると考えています。

その十番目の左が「白い馬」についての歌であり、“うら”の文章にある「白馬」に対応します。対となる右は「黒い馬」についての歌となっています。

 十番 左 和多都美の腹白 禾タツミノハラシロ

  ちはやふるかみみちてへとわたつみの
  しろきくもゐのそらにすてゝき

    右 千者也不留神黑 チハヤフルノカミクロ

  わたのはら白妙なみのうちてこし
  その神黑かちはみえにき

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「馬毛名歌合」の虚実

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次に、“うら”の文章を読み解いて、「女性」と「その夫」を「馬」に、かつ、後の時代の“誰か”である「夫」を「順」に、それぞれなぞらえていると推定しました。

「とおりゃんせ」の発祥地とされる三芳野神社がある埼玉県川越市に着目します。

川越には日光、久能山と並ぶ三大東照宮の一つとされる仙波東照宮があります。仙波東照宮が一度焼失した際に再建を指示したのは徳川家光です。

家光の側室には「お振りの方」という人がいて、家光の子を産みました。一方、正室は五摂家の公家の出である「鷹司孝子」という人で、家光とは不仲で、子はいませんでした。  ( 側室に 子はいながらも )

「親密な振り」とは、この「お振りの方」のことを表わし、「思い立つ夫がしない」とは、家光が孝子と関係をもたなかったために、子ができなかったことを表わしていると考えています。

そして、最後の「馬が野に育つ」とは、孝子が公家の出でありながら、他方では佐々成政の孫という武家の血筋でもあったことを表わしていると考えています。

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「とおりゃんせ」にみられる「蛇行法則」が何を意味するのかと考えを巡らせ、「蛇行法則」は「惑星の逆行」を表わすのではないかと推察しました。惑星の逆行とは、天空における惑星の見掛け上の位置が、他の恒星に対して逆の方向へ移動しているように見える現象のことです。

この「惑星の逆行」の時期に、歌に表わされた「事象」が起きたのではないかと推察しました。

実際に、徳川家光と鷹司孝子にまつわる出来事の年代の惑星配置を、Stella Theater Proというプラネタリウムソフトを使って、時代をさかのぼって再現してみました。徳川家光と鷹司孝子が正式に婚礼したのは、寛永二年八月九日(西暦1625年9月10日)ですが、同時期の西暦1625年8月25日頃~10月30日頃に、火星がうお座(春分点方向)で逆行していることが判明しました。

この婚礼自体が、徳川家と公家の緊張関係の象徴であったことを表わしていると考えています。

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「馬毛名歌合」の虚実

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<参考図書>

・ 広辞苑 第五版 岩波書店 1998年

・ 世界大百科事典 第2版 日立デジタル平凡社 1998年

・ 本居宣長全集 第十一 増訂再版 本居春庭全集・本居大平全集 著者:本居春庭・本居大平 校訂者:本居豊穎 再校訂者:本居清造 吉川弘文館 1927年

・ 平安朝歌合大成 第2巻 増補新訂 著者:萩谷朴 同朋舎出版 1995年

・ 平安文学と隣接諸学 4, 王朝文学と官職・位階 編者:日向一雅 源順の官職・位階と文学 著者:神野藤昭夫 竹林舎 2008年

・ 徳川家光 人物叢書 新装版 著者:藤井讓治 吉川弘文館 1997年

・ 【換暦】暦変換ツール https://maechan.net/kanreki/

・ Wikipedia

・ Stella Theater Pro Version3.02 Toxsoft 2010年

・ Newton キトラ古墳で発見された古代の星図 1998年7月号

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