「馬毛名歌合」の虚実


平安時代中期の歌人で学者の源順(みなもとのしたごう)は、『馬毛名歌合(うまのけのなのうたあわせ)』という馬の優劣を歌で競う歌合を主催しました。

そして、江戸時代後期、本居宣長の養子の本居大平という人が、『馬毛名歌合』を解説した『馬名合解』という著作を残しています。

---

源順の『馬毛名歌合』に記された十対の馬の名の歌は、一番が「夜明けの日射し」の歌、二番が「月」と「天の川」の歌、九番から十番にかけては「白」と「黒」、すなわち、「光」と「闇」についての歌であり、十対を概観してみたところ、各対の並び方が「蛇行法則」を成しているようなのです。

以下の図では、本居大平の解説による左右の勝負の様子を含みますが、例外もあって、筆者の個人的な印象で分けました。

『馬毛名歌合』の歌の並び方の法則を表す図

---

『馬毛名歌合』には、平安時代以前の古代日本の歴史が織り込まれているのではないかと推察しました。

本居大平の解説によると、前述した八番の右の歌の類歌として、古事記の仁徳天皇の段の女鳥王(メトリノオオキミ)の歌に「ひばりはあめにかける」という言葉が含まれていることを指摘しています。

記紀によると、仁徳天皇の父である応神天皇を産んだ神功皇后の時代に、その応神天皇が産まれたことによる皇位継承の争いがあり、麛坂皇子と忍熊皇子による神功皇后に対する反逆が起こっています。

---

『馬毛名歌合』にみられる「蛇行法則」が何を意味するのかと考えを巡らせ、「蛇行法則」は「惑星の逆行」を表わすのではないかと推察しました。惑星の逆行とは、天空における惑星の見掛け上の位置が、他の恒星に対して逆の方向へ移動しているように見える現象のことです。

この「惑星の逆行」の時期に、歌に表わされた「事象」が起きたのではないかと推察しました。

実際に、日本書紀に記された神功皇后に対する反逆の年代の惑星配置を、Stella Theater Proというプラネタリウムソフトを使って、時代をさかのぼって再現してみました。麛坂皇子と忍熊皇子の反逆が起きたとされるのは、神功皇后摂政元年二月(西暦201年3月22日~4月19日の間の頃)の事ですが、同時期の西暦201年3月25日頃~5月30日頃に、火星がさそり座アンタレスに近づいたあと、逆行していることが判明しました。

『馬毛名歌合』には、神功皇后とその後の応神、仁徳、履中、反正天皇の事績と、火星の逆行との符合が読み込まれていると考えています。

さらに、『馬名合解』にも火星の逆行が関わっています。

本居大平が『馬名合解』を著述したのは西暦1813年8月3日ですが、同時期の西暦1813年7月15日頃~8月30日頃に、火星がやぎ座で逆行していることが判明しました。

---

『馬毛名歌合』は、源順が邪馬台国について詠んだものであると考えています。

「馬」という字が「邪馬台国」という国名に含まれていることからも察することができますが、それだけでなく、「神功皇后に対する反逆」の歌が含まれていることも証となります。「神功皇后は邪馬台国の女王の卑弥呼のことである」という説があるからです。

---

記紀に記された反逆の年代と、計算上の火星の逆行の年代が一致するということは、奈良時代人が既に火星の逆行の年代をさかのぼって計算できていたということであると考えています。

---

『馬毛名歌合』と「古代の反逆」との符合を表す図

---

西暦201年3月22日00時00分の星図
西暦201年3月22日00時00分

西暦278年5月9日23時00分の星図
西暦278年5月9日23時00分

西暦310年3月18日4時00分の星図
西暦310年3月18日4時00分

西暦400年2月24日19時00分の星図
西暦400年2月24日19時00分

該当する日付の、ある特定の時間の、惑星・準惑星の配置を、年代を追って見ると、

1  麛坂・忍熊皇子の反逆  火星とマケマケ
2    武内宿禰に反逆の嫌疑  火星とハウメア
3    大山守皇子の反逆    火星とハウメア
4  仲皇子の反逆      火星とマケマケ

となり、1と2を入れ替えて、

2    武内宿禰に反逆の嫌疑  火星とハウメア
1  麛坂・忍熊皇子の反逆  火星とマケマケ
3    大山守皇子の反逆    火星とハウメア
4  仲皇子の反逆      火星とマケマケ

“蛇行”の図式を見出すことができます。

そして、年代の“最初”と“最後”にシュワスマン・ワハマン第3彗星が現れています。

---

康保三年五月五日(西暦966年6月1日)、源順が『馬毛名歌合』を主催した日の夜の星空では、天王星と海王星が会合し、別の方角では、月と火星が近接していますが、天王星と海王星の「前回の会合」が「172年前」の延暦十三年(西暦794年)であり、都が平安京に定められた同年十月二十二日(西暦同年11月22日)の早朝の星空では、前記2惑星と木星が会合し、そこに準惑星セレスも近接し、別の方角では、月と火星と、西暦2005年発見の準惑星ハウメアが近接するという、特異な配置となっています。

西暦966年6月1日19時30分の星図
西暦966年6月1日19時30分

西暦794年11月22日05時00分の星図
西暦794年11月22日05時00分

Toxsoft製の Stella Theater Pro という星図ソフトを使用しました

Toxsoftホームページ https://www.toxsoft.com/

---

<参考図書>

・ 広辞苑 第五版 岩波書店 1998年

・ 世界大百科事典 第2版 日立デジタル平凡社 1998年

・ 本居宣長全集 第十一 増訂再版 本居春庭全集・本居大平全集 著者:本居春庭・本居大平 校訂者:本居豊穎 再校訂者:本居清造 吉川弘文館 1927年

・ Wikipedia

・ 古事記(中) 全訳注 著者:次田真幸 講談社 1980年

・ 古事記(下) 全訳注 著者:次田真幸 講談社 1984年

・ 日本書紀(上) 全現代語訳 著者:宇治谷孟 講談社 1988年

・ 日本書紀(二) 校注者:坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋 岩波書店 1994年

・ 【換暦】暦変換ツール http://maechan.net/kanreki/

・ Stella Theater Pro Version2.66 Toxsoft 2008年

・ Newton キトラ古墳で発見された古代の星図 1998年7月号

---

戻る

空